『アンチ・オイディプス』第一章 わからんメモ
一か月ほど第一章を彷徨っているので、整理する。
第一節: 欲望的生産
連接や接続をともなう様々な機械がある。器官機械が源泉機械につながれる。ある機械は流れを発生させ、別の機械は流れを切断する。
常に流れと切断がある。
- 自然であれ社会であれ、そこには機械がある。機械は流れを発生させ、また切断を行う。
葉緑素機械あるいは光合成機械であること、少なくとも、このような機械の中に自分の身体をひとつの部品として滑り込ませること。レンツは、人間と自然が区別される以前に、あるいはこの区別を条件とするあらゆる指標以前に身をおいたのだ。彼は自然を自然としてだけではなく、生産のプロセスとして生きる。もはや、ここには人間もなければ、自然もなく、ただ一方を他方の中で生産し、もろもろの機械を連結するプロセスだけがある。
- ある機械は別の機械によって生産される。それを連結する。そういうプロセスだけがある。
自然 - 人間、自然 - 産業、自然 - 社会というこの弁別的関係は、社会の中にさえも「生産」「分配」「消費」と呼ばれる相対的に自律的な領域の区別を存在させる条件となっている。
- 自然 - X の二項対立が存在することを条件として、「生産」「分配」「消費」の区別が存在する。
- ここまでの話から、こうした区別が存在しないと主張したいことがわかる
すなわち、生産はそのまま消費であり、登録なのである。登録と消費は直接に生産を規定しているが、しかも生産そのものの真っ只中で生産を規定している。だから、すべては生産なのだ。
- はい。
ここに存在するのは、生産の生産、つまり能動と受動の生産であり、登録の生産、つまり分配と指標の生産であり、消費の生産、享楽と不安と苦痛の生産なのである。すべてはまさに生産であるから、登録はただちに消費され消尽され、この消費は直接に再生産される。これがプロセスという言葉の第一の意味である。すなわち、登録と消費を生産そのものの中に組み込むこと、登録と消費を、同じひとつの過程の中の生産とみなすことである。
- 生産の要素
- 生産の生産 = 能動と受動の生産
- 登録の生産 = 分配と指標の生産
- 消費の生産 = 享楽と不安と苦痛の生産
- プロセス = 生産-登録-消費 の生産
第二に、ここでは自然 - 人間の区別も存在しない。 … 因果や包含や表現などといった関係 (原因 - 結果、主観 - 客観) において捉えられるとしても、自然と人間は、相互に対面する二項のようなものではなく、むしろ唯一の同じ本質的な実在であり、生産するものと生産されるものは一体をなしているのだ。プロセスとしての生産は、あらゆる観念的カテゴリーをはみだすものであり、欲望を内在的原理としてひとつのサイクルを形成している。
- note: プロセスでは 自然 - X の二項対立が存在しない。プロセスでは生産するものと生産されるものを一体=サイクルとして捉える。そして欲望がプロセスの内在的原理となる。
プロセスは、目標や目的と考えられてはならないし、プロセス自身を無限に継続することと混同されてもならない。プロセスの目的化、あるいはプロセスの無限の継続は、厳密にいえば、そのプロセスの早すぎる無謀な停止と同じことであり、 …
-
上はプロセスの第三の意味
- プロセスは終極であってはならない。
-
プロセスの条件:
- 生産-登録-消費の区別を行わない すべては生産
- 生産者と生産物のサイクルで構成される
- プロセスが終極状態であってはならない
分裂症的な特性とか、その臨床実体とかいったものは、何ら存在しない。分裂症とは生産し再生産する欲望機械の宇宙であり、「人間と自然をなす本質的実在」としての根源的な普遍的生産である。
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「欲望機械」が出てきた。
-
「人間と自然をなす本質的実在」 = 根源的な普遍的生産
- これは上で触れているプロセスと同じ?
-
分裂症 = 生産し再生産する欲望機械の宇宙 = 根源的な普遍的生産
欲望機械は二項機械であり、二項的規則、あるいは連合的体制をそなえた機械である。ひとつの機械は常に他の機械と連結している。生産的総合すなわち、生産の生産は、「そして」 et 「そして次に」 et pruis… という接続的な形態をもっている。つまり、ここには常に流れを生産する機械と、この機械に接続されてこの流れを切断し採取する働きをするもうひとつの機械が存在する (…)。そしてまた、今度は第一の機械が別の機械に接続され、これに対して第一の機械が切断あるいは採取の行動をする。したがって、二項系列はあらゆる方向に線型状にのびてゆく。
- 欲望機械 = et, et pruis で機械をつなぐ二項機械
あらゆる「対象」は流れの連続を前提とし、あらゆる流れは対象の断片化を前提としている。
- 圏論みたい。 IIRC, 圏は対象と射から定義される
- 対象は射を前提とし、射は対象を前提とする
おそらく、それぞれの〈器官機械〉は、自分自身の流れにしたがって、自分自身から流れ出すエネルギーにしたがって、世界全体を解釈する。眼はあらゆることを、 … 見るという言葉で解釈する。しかし、他の機械との間には、いつも接続の関係が、ある横断線によって設定される。この横断線を通じて、ひとつの機械は他の機械の流れを切断し、あるいは自分の流れが他の機械によって切断されるのを「見る」のである。
- 機械への入力だけで、知覚する。
それゆえ、〈流れ - 部分対象〉という接続的総合による連結は、また〈生産物 - 生産する働き〉という別の形態をもつことになる。生産する働きは、常に生産されるものに接木される。だからこそ、あらゆる機械が機械の機械であるように、欲望的生産は生産の生産なのだ。
- あらゆる機械は機械の機械。
- 欲望的生産は生産の生産。欲望機械は、機械を接続する。流れを生産する流れ。
ここには、生産の働きとその生産物を区別する余地がない。少なくとも生産されたものは、自分自身の現場を新しい生産の働きの中にたずさえている。
- ここ = 分裂症者の机
レヴィ=ストロースは器用仕事を規定するとき、緊密に結びついた諸特性の総体としてそれを提案している。すなわち、多数のチグハグな、限られたストックやコードを具えていること、もろもろの断片を、たえず新しい断片化に導く能力をもつこと。したがって生産する働きと生産物は区別されず、用いる道具の全体と、実現すべき仕事の全体も区別されない。
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「器用仕事」には「ブリコラージュ」のルビあり
- bricolage c.f. 設計 design
- bricoleur: 利用可能なもので問題を解決するひと
- 『野生の思考』
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緊密に結びついた諸特性の総体
- 多数のチグハグな、限られたストックやコードを具えている
- ストック、コード?
- 断片を、新しい断片化に導く
- 断片から別の断片をつくる
- かならずしもある断片をさらにちいさな断片に分解するものではない?
- 用いる道具の全体と、実現すべき仕事の全体が区別されない
- 生産されたものが、次の生産のための道具になる
- 多数のチグハグな、限られたストックやコードを具えている
たえず生産の働きを生産し、この生産の働きを生産物に接木してゆくという規則こそが、欲望機械、あるいは根源的な生産の特性なのである。
- 欲望機械の特性 = 生産の働きを生産する。
〈生産する働き〉〈生産物〉〈生産物と生産する働きの同一性〉……。この第三の同一性がまさに、線型状の系列の中に第三項を構成することになる。これは、未分化の巨大な対象である。
- 〈生産物と生産する働きの同一性〉 = 生産されたものが、時間的に続く生産を行う
- 生産物は生産を行うというだけでいいのか、生産という trait なのか。それとも、生産物と生産する働きの型が一致するものなのか。よくわからない。特に指定がないかつここまでの文脈から、前者だと思っている。
- 〈生産物と生産する働きの同一性〉 = 「未分化の巨大な対象」。
生産物と生産する働きの同一性:
- 生産物は、すなわち生産する働きを持つ。
trait Producer {
fn produce() -> impl Producer {
// ...
}
}
- 生産物は、同じ型を生産する働きを持つ。
struct ProductFoo {
}
impl ProductFoo {
fn produce() -> Self {
// ...
}
}
1 は普遍的に成り立ちそう 2 はいわゆる reproduction.
わかった。「この第三の同一性がまさに、線型状の系列の中に第三項を構成することになる。これは、未分化の巨大な対象である。」はつまり、生産物はすなわち生産する働きとなる特性は、流れの生産-切断に、第三 (あるいはさらに第四, …) の項を繋いでいく役割を果たす。
ある純粋な流体が、自由状態で、途切れることなく、ひとつの充実身体の上を滑走しているのだ。欲望機械は、私たちに有機体を与える。ところが、この生産の真っ只中で、この生産そのものにおいて、身体は、組織される〔有機化される〕ことに苦しみ、つまり別の組織を持たないことを苦しんでいる。こうして過程の最中に、第三の契機として「不可解な、直立状態の停止」がやってくる。 … もろもろの自動機械装置は停止して、それらが分節していた非有機体的な塊を出現させる。この器官なき充実身体は、非生産的なもの、不毛なものであり、発生してきたものではなくて始めからあったもの、消費しえないものである。
線形状の系列をなさない (生産/採取のない) 何かがある。それが器官なき身体。それは、自動機械装置が分節していた非有機体的な塊。
器官なき身体は、非生産的なもの (= 線形状の系列をなさない、生産過程に属しない) 不毛なもの (= 生産の働きをもたない)、発生してきたもの (= 生産物?) ではなくて始めからあったもの、消費しえないもの (= 切断-採取できないもの)
この世のものはすべて関数だと思っている節が私にあるが、それは違うらしい。
死の本能、これがこの身体の名前である。この死には、モデルがないわけではない。実際、欲望はこれもまた、死をもまた欲望するのである。なぜなら死の充実身体は、みずからは動かずして欲望を動かすものであるから。ちょうど生のもろもろの器官が作動する機械 working machine であるからこそ、欲望が生を欲望することになるように。
生の器官が作動する機械であるから、欲望が生を欲望する。 死の充実身体は欲望を動かす、つまり、死は、複数の機械を 生産-採取の関係によって接続する。死そのものは何も生み出さないが、具体的な死は、流れを生み出すということ? 「生のもろもろの器官が作動する機械である」がわからない。生の機械とは?
器官なき身体 = 死の本能 = 死そのもの = 死の概念?
第二節: 器官なき身体
第三節: 主体と享受
第四節: 唯物論的精神医学
第五節: 欲望機械
第六節: 全体と諸部分
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